おはようございます。昨夜は湯野上温泉のホテルにて一夜を過ごしておりました。さて、本日は日光、鬼怒川を通り、会津まで辿ってきた2泊3日旅行の最終日です。この日も張り切って会津の観光をしようと思います。
湯野上温泉のある南会津郡下郷町といえば、大内宿も有名です。大内宿へ向かうバスは湯野上温泉駅から坂道を少し下った場所から出ています。
大内宿へは湯野上温泉駅から猿遊号で20分です。
さて、大内宿に着きました。お店を営む古民家がずらりと立ち並んでいますね。大内宿は会津と日光を結ぶ会津西街道の宿場で、江戸時代には旅人や物資の輸送で賑わいを見せていました。
水路もあったんですね。この小川を使って食材などを洗うそうです。これも古代ならではの生活なのでは?
高倉神社の鳥居まであります。
展望台もあり、高台から茅葺き屋根の街並みが一望できます。
背後には紅葉が素晴らしいです。
こちらが町並み展示館のようです。この時はまさに茅屋根の葺き替え工事の最中でした。
このように大内宿や茅葺き屋根の紹介があります。
囲炉裏も灯火していて、心身が温まります。個人的に火を焚く時の匂いも好きなんですよねー。
これらは古民家での生活に欠かせない道具が展示されているものです。
殿様が休憩したとされる上段の間。
茅葺も綺麗に切り揃えられています。
お2階にも上がることができます。ここにも展示品が。
とここで、大内宿の歴史を見てみましょう。
大内宿のある下郷町は鎌倉時代「陸奥国長江庄」と呼ばれ、豪族長沼氏が統治していました。その支配は戦国時代まで続き、江戸時代初期には大内宿から北は会津藩領、南は幕府の直轄地となりました。
当時、大内宿をはじめとする街道の宿駅では荷物を運ぶ人馬の交換が行われ、大内宿はこの継ぎ立てや宿場経営で栄えました。
1884年に新日光街道が整備されると、次第に宿駅としての機能を失ったのでした。
大内宿ではこのような行事も行われます。夏になると半夏祭りが、冬になると雪まつりもあるんですね。
火の見櫓。火災の早期発見、消防団の招集、町内への警鐘の発信にはこの見張り台を使用します。
さて、再び湯野上温泉駅に戻ってきました。
懐かしの丸型ポストも今に伝えています。
駅舎内にもなんと、囲炉裏が。茅葺き屋根と合わせてまさに大内宿の下車駅にふさわしい格好ですね。
親子地蔵尊の湯という足湯が駅と隣接しています。
足湯で浸かりながら会津鉄道の気動車を眺めるのも、最高のひと時ですね。
多くのツアー客が降りてきました。
この時計塔は更衣室に使用されているんですね。
まだまだ列車の時間に余裕があるのですが、ホームに入ってまでどうしても会津田島方面の列車を見送りたかったので、硬券の入場券を購入。素晴らしい内容ですね。
茅葺き屋根とディーゼルカーのツーショット。春には桜の名所としても名高いようです。
ホームの紅葉も交えて撮ってみました。やはり山奥の自然を実感しますね。
では、この後はお座トロ展望列車に乗って一気に会津若松まで直行します!!こちらは次頁のお楽しみに!!