この日の大阪・難波はあいにくの天気ですが、それでも道頓堀には外国のインバウンドも含めた多くの観光客で賑わいを見せていました。
道頓堀といえば、かに道楽も有名ですね。ただ、大阪に来たらどうしても食べたいものといえば…
本場のお好み焼きですね。ソースとマヨのトッピング、これぞ大阪自慢の味ですなぁー。
このモダンな建物、実はホテルなんです。こんなホテル、なかなか想像つきませんねー。
難波には奈良、伊勢志摩などへ向かう近鉄の駅があります。また、ここから阪神に乗って甲子園や神戸三宮へ行くことも可能です。
ただ、私が乗ろうとしていたのは、もう一つの難波駅から出発する南海電車です。
ここから出る関空特急といえば、ラピートが有名ですね。
鉄人28号のようなフォルムで、鉄道ファンでなけりゃ一際驚くことでしょう。
この南海なんば駅は南海にとっても大阪の玄関口となる重要なターミナル駅で、多くの乗り場がズラリと並び、利用客も賑やかです。
では、本題のこれから乗車するのは、0番ホームから出発する南海高野線の最新型観光特急、その名もGRAN 天空であります。
GRAN 天空の乗り場はほかのホームと比べてかなり離れたところにあります。
0番乗り場のベンチはなんといっても木材でできた特製のベンチがポイントですね。
駅名標もGRAN 天空に合わせたオリジナルのものになっています。ただ、次の停車駅がなぜかGRAN 天空通過駅の今宮戎でした。
発車標の表示内容も独特ですね。12:45出発予定です。
そこにはもう既にこれから乗車するGRAN 天空が発車を待っていました。
前面のヘッドマークは旅の羅針盤を表現しています。
キュリオシティマーク。車両いっぱいに大胆にあしらわれていて、こりゃ素敵だ。

かつて普通列車で使用された車両を改造しているので、ところどころで一般車の面影が残りますね。
行き先表示器。実際の行き先は極楽橋駅ですが、高野山も優先的に併記されており、いかに高野山へのアクセス特急ということを強調していますね。
では、いよいよ車内に潜入。化粧板も白くなっているおかげで車内も明るく、新築の家の中にいるようで、電車の中とは思えない演出になっています。
座席もおしゃれな柄になっており、高野山への期待感を持たせてくれます。
1人席もあり、自分だけでゆったりするのも良しですね。
デッキも白を基調としており、本当に電車とはかけ離れた空気感です。
乗降ドアも普通列車だった名残から両開きになっています。ですから、これを眺めていると、通勤電車に乗っている気分がしそうです。
多目的トイレも広々としており、お年寄りや身体障害の方も安心して利用できそう。
ハンドドライヤーもきちんとしたものになっていて、これが電車内に備えられるのかと驚いてしまいますね。
2号車ものぞいてみましょう。ワイドビューシートと呼ばれ、窓側に向いた2人掛けシートとテーブルがあるほか、もう片側はボックスシートとテーブルが備えられるなど、カップルで旅行に行くときにぜひ利用すべきですね。
落ち着いたグリーンのシートも和のテイストを取り入れてますね。
このようにみてみると、まるで二人だけの特別な空間に見えてしまいそうです。
洗面台。大阪浪華錫器製手洗い鉢が特徴です。
続いて3号車。
そこはサービスコーナーになっており、軽食やドリンク、オリジナルグッズが取り揃っています。
3号車の入口付近にはこんなモニュメントが。これは銀杏でしょうか?でも、この装飾画は繊細なデザインでGRAN 天空の列車にふさわしいラグジュアリーな飾りですね。
乗車記念証明書と一緒に記念スタンプもいかがでしょうか?
背面テーブルや
肘掛けなど座席周りの装置の至る所に木材が多用され、新たな時代の観光列車を象徴させるかのような車内になっていますね。
肘掛けにも小型のテーブルが収納され、これで自分の使いやすい方のテーブルを選べるという自由自在な機能ですね。
12:45、なんば駅を出発。すぐになんばパークスが見えます。
とここで、ラピートと離合。観光列車の旅の始まりに思いがけない演出ですね。
今宮戎駅通過。この列車は高野線方面の列車ですので、ホームのある方を通過していますが、南海本線の線路には当駅のホームはありません。
車窓から通天閣が見え、
JR環状線などとの乗り換え駅、新今宮に着きます。
副駅名はなんと、『#まいど通天閣』!!ここ大阪にお似合いのフレーズですね。
ここでおしぼりをいただきました。
天下茶屋まで本線と並走します。
新今宮を出てわずか2駅で天下茶屋にまたしても停車。これぞ大阪の中心であって規模が密集しているエリアですね。
大和川をわたり、大阪市から堺市に入ります。
高野線における堺市の中心駅、堺東駅。堺市は大阪府内にある政令指定都市の一つです。
中百舌鳥駅を通過し、泉北線は高野線の上下線の間の地下に潜ります。
南海の千代田工場が見えてきました。
ここは南海電車の全般検査が行われる南海最大の車両工場です。
美加の台付近から徐々に山肌の景色になってきます。
新紀見トンネルに入り、大阪府から和歌山県に入ります。
小原田の検車区にも高野線の車両たちがたくさん見られました。

橋本駅を過ぎ、紀ノ川をわたり、
受験生に人気の難読駅名で知られる、学文路駅を通過。
そして、真田仕様の駅舎になっている、九度山駅に着きます。
九度山は真田幸村のゆかりの地として知られる高野山の麓にある駅です。
さあ、ここからいよいよ50‰の急勾配に差し掛かります。
こちらがGRAN 天空の乗車証明書。
裏面にはスタンプを押す欄があります。
丹生川橋梁では龍王渓の絶景が美しいため、徐行しながら渡ります。

そしてすぐにトンネルとなります。
高野線の山岳区間はあまりにも勾配が険しく、登山鉄道の仲間入りをするほど。
山中の小さな駅にも自動改札があるなんて、驚きです。
沿線には高野杉が立ち並んでいます。高野山では古くからこのスギを含めた高野六木(ほかにヒノキ、モミ、ツガ、アカマツ、コウヤマキ)と呼ばれる六種の樹木が存在します。
停車駅ではありませんが、紀伊細川駅にも一時停車し、
ホームに降りて駅周辺の自然豊かな香りを体感できます。


駅のすぐそこは極めて峻険な地帯であり、駅近とは思えないですね。
本当に完全な山中に駅があるといういわゆる秘境駅ですね。
それでも一応駅舎はあり、なんとこの駅にも自動改札機が。南海ではこのような秘境レベルの駅であっても、どの駅にもちゃんと自動改札機というものは設置するんですね。
では、まもなく出発の時刻のようですので、車内に戻ります。
乗降の際は車両との隙間に注意です。
さて、極楽橋と呼ばれる赤い橋が見え、
難波から1時間35分で終点、極楽橋駅に到着です。
車内にていろいろオリジナルグッズが買えたり、観光案内も丁寧で、車内に伝統的な装飾や備品などがたくさんみられ、秘境駅に降りて独特な自然の中に佇むサービスもあったりと、観光列車にふさわしいおもてなしもいろいろありました。いわば高野線にも特有の沿線風景があるという証ですね。今回、食事サービスは受けてないのですが、それでも有意義な乗車時間でありました。
コンコースは高野山にちなんだ幻想的な空間になっています。これぞ高野山の玄関口にならった駅といえますね。
天井には色鮮やかで壮麗なはじまりの天井絵巻や宝来天井絵が広がっていますね。
ここから高野山へはケーブルカーに乗り継いで向かうようになっていますが、ケーブルカーへののりばはこのように連絡通路で結ばれています。
この通路もお寺の回廊に似たような造りで、今にでもお寺めぐりが始まっているような気分ですね。
では、このケーブルカーでさらに上にある高野山の中心に向かいます。
高野山駅へ降り立ち、ここから世界遺産・高野山の旅がはじまりを迎えます。
高野山の駅も洋風建築の変わった駅舎ですね。では、天候は悪いですが、ここから高野山の観光にアタックします!!

まずは金剛峯寺から。1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である学侶方の巌寺と興行人方の山寺 (廃寺)を合併し、高野山真言宗総本山金剛峯寺と改称した。主殿は文久3年(1863年)再建。東西 54メートル、南北 63メートルの書院造建築である。屋根は檜皮葺で、屋根上には雨水を貯める天水桶とよばれる桶が設置され、境内で火災発生時、桶の水を屋根にまくことで火の粉による類焼を防ぐ役割があった。大玄関と小玄関があり、大玄関は表玄関に相当し、かつては皇室、高野山の重職に就いている僧のみが使用した。小玄関は大玄関を使用できない上位の僧侶が使用し、一般僧侶は裏口を使用した。
蟠龍庭 - 1984年(昭和59年)弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2340平方メートルの石庭。雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っている姿を表現している。龍を表す石は四国の花崗岩を140個使用し、雲海を表す白川砂は京都産を使用。
続いて壇上伽藍へ。根本大塔(こんぽんだいとう)(重要文化財) - 真言密教の根本道場(修行の中心地)として高野山開創当初から着工され、887年に日本最初の多宝塔として完成した高野山のシンボルである。「性霊集」に、根本大塔と西塔が二基一対として建立されたことが書かれている。何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。
金堂(こんどう) (重要文化財) - 高野山の総本堂。初代の堂は大師により弘仁10年(819年)から造営し承和5年(838年)に完成したと伝わる。6代目の堂は萬延元年(1860年)に再建されたが66年後の1926年(昭和元年)12月26日未明に、創建当初のものと云わる本尊と6体の仏像(金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像)と共に焼失した。本尊の像名は薬師如来とされてきたが、焼失した旧本尊も、現在の金堂再建時に新造された高村光雲作の丈六の新本尊も、公開されたことのない秘仏であったため、阿閦如来とする説もあり、新本尊が高野山開創1200年を記念して2015年(平成27年)4月2日から5月21日まで初めて開帳されたのを機に、両者は同体で像容は阿閦如来であるが、像名は薬師如来とされた。現在の7代目の堂は1932年(昭和7年)に落慶され、耐震、耐火の鉄筋コンクリート造で外部に檜材を貼り付けた木造建築の外観で、屋根は入母屋造、梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートルとなっている。
御影堂(みえどう)(重要文化財) - 大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1メートルの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。毎年、空海が入定した旧暦の3月21日に旧正御影供が行われ、前夜の御逮夜法会(おたいやほうえ)のときのみ一般の外陣参拝が許される。御逮夜法会では宗教舞踏の奉納や、御影堂まわり一面にロウソクと花が供えられる。
東塔(とうとう) - 大治2年(1127年)初代創建、尊勝仏頂尊と不動明王・降三世明王を祀る。弘法大師入定1150年御遠忌記念事業で1984年再建。白河上皇の御願により醍醐寺三宝院勝覚権僧正が創建。
大会堂(だいえどう)(重要文化財) - 安元元年(1175年)鳥羽上皇の皇女五辻斎院頌子内親王が父の追福のため創建。もとは東別所にあったが西行法師が、長日不断談義の学堂として現在地に移し蓮華乗院と称していた。後に法会の集会堂になり、現在の堂は嘉永元年(1848年)再建。本尊は阿弥陀如来。
不動堂(ふどうどう)(国宝) - 建久8年(1197年)上皇の皇女八條女院内親王の発願により行勝上人が創建。現在の堂は14世紀初頭に再建で、高野山内では金剛三昧院多宝塔に次ぎ、2番目に古い建築物。高野山内の一心院谷から、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。当初は阿弥陀堂であったと推定されるが、後に本尊の不動明王(重要文文化財)と運慶作の八大童子像(国宝)が奉安され、現在いずれも霊宝館に移されている。堂の四隅の形状がそれぞれ違い、四隅それぞれを四人の工匠が随意に造ったためと伝わる。近年の解体修理報告書によると元来、僧侶が臨終を迎えるための堂だったとの説がある。屋根が桧皮葺のため境内で火災が発生した場合、類焼しやすいため屋根にドレンチャーを設置し、バルブを開けると桧皮葺屋根がドレンチャーからの水膜で覆われるようになっている。高野山内では、檀上伽藍の御影堂、徳川家霊台の2棟、奥の院の経蔵、金剛三昧院の多宝塔など計6棟に、地上に放水銃を設置しているが、屋根にドレンチャーを設けているのは不動堂だけである。
愛染堂(あいぜんどう)(重要文化財) - 建武元年(1334年)に初代建立、現在の堂は1848年(嘉永元年)再建。後醍醐天皇の勅願により四海静平、玉体安穏(天下泰平)を祈念のため創建。本尊は後醍醐天皇と等身とされる愛染明王。
三昧堂(さんまいどう)(重要文化財) - 延長7年(929年)初代創建、もとは総持院境内にあったが、治承元年(1177年)西行法師が現在地に移した。現在の堂は文化13年(1816年)再建。金剛峯寺座主済高が創建し、堂内で理趣三昧の法要を行っていたことから、この名がついた。堂前の桜は、西行法師手植の桜と伝わるが元の桜は枯れ、植え替えられ、現在も西行桜とよばれている。
大塔の鐘 - 大師発願で二世真然の代に完成。現在の鐘は日本で四番目に大きな鐘であることから「高野四郎」と呼ばれ、1547年に鋳造され約6トン直径7尺である。1日5回、計108回突かれる。鐘楼は鉄筋コンクリート製。
准胝堂(じゅんていどう)(重要文化財) - 光孝天皇の御願により第二世真然大徳が973年ごろ創建、現在の堂は1883年(明治16年)再建。本尊は准胝観音(准胝仏母)で、空海が出家得度の際の本尊として自ら造立したと伝わり、当初、食堂に安置していたが当堂を創建後に移したと伝わる。
孔雀堂(くじゃくどう) - 1200年初代建立、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として1983年(昭和58年)再建。後鳥羽法皇の御願による神泉苑での請雨祈願が成就したことにより奉納された堂。本尊の快慶作の孔雀明王像(重要文化財)は霊宝館に移され、当堂には新しく造られた像が安置された。
山王院(さんのういん) - 承安4年(1174年)以前の創建で1845年再建、御社(明神社)の拝殿として建てられた。両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物であり、桁行21.3メートル、梁間7.8メートル。山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味。堂では、毎年竪精(りっせい)論議や御最勝講(みさいしょうこう)などの重要行事や問答が行われ、高野山の鎮守たる明神(みょうじん)さまに神法楽(じんほうらく)として捧げられている。同様に毎月16日にも月次門徒・問講の法会が行われている。
西塔(さいとう)(重要文化財) - 空海の伽藍建立計画の『御図記』に従い創建され、空海が構想した大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として根本大塔と西塔を二基一対として建立され、後述する根本大塔の本尊が胎蔵界大日如来であるのに対し、金剛界大日如来像と江戸時代作で胎蔵界四仏の宝幢如来・開敷華王如来・無量寿如来・天鼓雷音如来を安置する。仁和3年(887年)初代塔建立、現在の塔は5代目で天保5年(1834年)の再建で擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で屋根は本瓦型銅板葺である。高さ27.27m。再建にあたり、西塔近くの正智院住職が二十数年、三代におよび私財をなげうち勧進をしたと伝わる。
というわけで、高野山ではたくさん国宝や重要文化財といった古くからの歴史的建造物が今でもたくさん支持されながら現存しているという日本を代表する観光地ならぬ、世界遺産であります。皆さんもGRAN 天空に乗って高野山に参拝でもして、宿坊に泊まりつつ、数多くの自然や寺院などを見物してみてはいかがでしょうか。精進料理も食べられるし、伝統的な文化に触れたり、ここでしができない学習にもなりますよ!!