ヒダヰゴ交通局

当サイトでは、主に乗り鉄、撮り鉄として専ら活動し、その記録をこのブログにまとめたものです。皆さんもぜひご覧いただき、励みになってほしいと思います。

2026.08.20 【関西の205の残党】JR奈良線205系を撮る

京都駅からJR奈良線のみやこ路快速でおよそ30分、平等院や宇治橋で知られる宇治駅から1つ隣のJR小倉駅に降りました。

ここはJR奈良線の中でも鉄道撮影に向いたスポットがあるとのことで、降り立ったわけですが、ここで捉えようとしている車両、それは…

全国的に数を減らし、東では南武支線に、西では奈良線にのみ残っている205系であります。205は特に首都圏ではいろいろな通勤路線で活躍してきましたが、2010年代に一気に新製車両に置き換えられ、現在では南武支線と奈良線で見られるのみとなりました。しかも、南武支線では予備で1本残るのみで、実質上この奈良線が最後の残党というわけであります。

というわけで、まずは駅ホームで撮ってみることに。こちらは左側の前窓が大きめの205系1000番台。西日本向けに5編成のみ配置された車両で、205系の中でもある意味レアと言える顔つきです。

もう一本205-1000が来ました。やはり、東日本のものとやや顔つきが違っており、関東人の自分にとって違和感の感じられるタイプになっています。

続いて駅を出て宇治寄りにある跨線橋で奈良方面へ向かう205を狙います。当初は橋の下にある踏切で撮る予定だったのですが、そこには雑草の茂みが酷かったので橋の上に場所を変えて撮影に臨みます。

それでも、自分から見つけたとはいえ、いい感じに撮れてる!!橋の上で撮っても大正解でしたね。とはいえ、こちらも1000番台でした。現在、奈良線の205というのは0番台より1000番代の方が1本多いようです。

国鉄時代製造の最後の通勤車両、205系。それも南武支線のみとなった関東にお住まいの方でもわざわざ京都に駆けつければ奈良線で205系を撮りに行ってみてもいかがなものでしょうか。205オタクの方。

2026.09.04 【50‰の急勾配を行く新たな観光列車】南海高野線GRAN 天空に乗る!!

この日の大阪・難波はあいにくの天気ですが、それでも道頓堀には外国のインバウンドも含めた多くの観光客で賑わいを見せていました。

道頓堀といえば、かに道楽も有名ですね。ただ、大阪に来たらどうしても食べたいものといえば…

本場のお好み焼きですね。ソースとマヨのトッピング、これぞ大阪自慢の味ですなぁー。

このモダンな建物、実はホテルなんです。こんなホテル、なかなか想像つきませんねー。

難波には奈良、伊勢志摩などへ向かう近鉄の駅があります。また、ここから阪神に乗って甲子園や神戸三宮へ行くことも可能です。

ただ、私が乗ろうとしていたのは、もう一つの難波駅から出発する南海電車です。

ここから出る関空特急といえば、ラピートが有名ですね。

鉄人28号のようなフォルムで、鉄道ファンでなけりゃ一際驚くことでしょう。

この南海なんば駅は南海にとっても大阪の玄関口となる重要なターミナル駅で、多くの乗り場がズラリと並び、利用客も賑やかです。

では、本題のこれから乗車するのは、0番ホームから出発する南海高野線の最新型観光特急、その名もGRAN 天空であります。

GRAN 天空の乗り場はほかのホームと比べてかなり離れたところにあります。

0番乗り場のベンチはなんといっても木材でできた特製のベンチがポイントですね。

駅名標もGRAN 天空に合わせたオリジナルのものになっています。ただ、次の停車駅がなぜかGRAN 天空通過駅の今宮戎でした。

発車標の表示内容も独特ですね。12:45出発予定です。

そこにはもう既にこれから乗車するGRAN 天空が発車を待っていました。

前面のヘッドマークは旅の羅針盤を表現しています。

キュリオシティマーク。車両いっぱいに大胆にあしらわれていて、こりゃ素敵だ。

かつて普通列車で使用された車両を改造しているので、ところどころで一般車の面影が残りますね。

行き先表示器。実際の行き先は極楽橋駅ですが、高野山も優先的に併記されており、いかに高野山へのアクセス特急ということを強調していますね。

では、いよいよ車内に潜入。化粧板も白くなっているおかげで車内も明るく、新築の家の中にいるようで、電車の中とは思えない演出になっています。

座席もおしゃれな柄になっており、高野山への期待感を持たせてくれます。

1人席もあり、自分だけでゆったりするのも良しですね。

デッキも白を基調としており、本当に電車とはかけ離れた空気感です。

乗降ドアも普通列車だった名残から両開きになっています。ですから、これを眺めていると、通勤電車に乗っている気分がしそうです。

多目的トイレも広々としており、お年寄りや身体障害の方も安心して利用できそう。

ハンドドライヤーもきちんとしたものになっていて、これが電車内に備えられるのかと驚いてしまいますね。

2号車ものぞいてみましょう。ワイドビューシートと呼ばれ、窓側に向いた2人掛けシートとテーブルがあるほか、もう片側はボックスシートとテーブルが備えられるなど、カップルで旅行に行くときにぜひ利用すべきですね。

落ち着いたグリーンのシートも和のテイストを取り入れてますね。

このようにみてみると、まるで二人だけの特別な空間に見えてしまいそうです。

洗面台。大阪浪華錫器製手洗い鉢が特徴です。

続いて3号車。

そこはサービスコーナーになっており、軽食やドリンク、オリジナルグッズが取り揃っています。

3号車の入口付近にはこんなモニュメントが。これは銀杏でしょうか?でも、この装飾画は繊細なデザインでGRAN 天空の列車にふさわしいラグジュアリーな飾りですね。

乗車記念証明書と一緒に記念スタンプもいかがでしょうか?

背面テーブルや

肘掛けなど座席周りの装置の至る所に木材が多用され、新たな時代の観光列車を象徴させるかのような車内になっていますね。

肘掛けにも小型のテーブルが収納され、これで自分の使いやすい方のテーブルを選べるという自由自在な機能ですね。

12:45、なんば駅を出発。すぐになんばパークスが見えます。

とここで、ラピートと離合。観光列車の旅の始まりに思いがけない演出ですね。

今宮戎駅通過。この列車は高野線方面の列車ですので、ホームのある方を通過していますが、南海本線の線路には当駅のホームはありません。

車窓から通天閣が見え、

JR環状線などとの乗り換え駅、新今宮に着きます。

副駅名はなんと、『#まいど通天閣』!!ここ大阪にお似合いのフレーズですね。

ここでおしぼりをいただきました。

天下茶屋まで本線と並走します。

新今宮を出てわずか2駅で天下茶屋にまたしても停車。これぞ大阪の中心であって規模が密集しているエリアですね。

大和川をわたり、大阪市から堺市に入ります。

高野線における堺市の中心駅、堺東駅。堺市は大阪府内にある政令指定都市の一つです。

中百舌鳥駅を通過し、泉北線は高野線の上下線の間の地下に潜ります。

 

南海の千代田工場が見えてきました。

ここは南海電車の全般検査が行われる南海最大の車両工場です。

美加の台付近から徐々に山肌の景色になってきます。

新紀見トンネルに入り、大阪府から和歌山県に入ります。

小原田の検車区にも高野線の車両たちがたくさん見られました。

橋本駅を過ぎ、紀ノ川をわたり、

受験生に人気の難読駅名で知られる、学文路駅を通過。

そして、真田仕様の駅舎になっている、九度山駅に着きます。

九度山は真田幸村のゆかりの地として知られる高野山の麓にある駅です。

さあ、ここからいよいよ50‰の急勾配に差し掛かります。

こちらがGRAN 天空の乗車証明書。

裏面にはスタンプを押す欄があります。

丹生川橋梁では龍王渓の絶景が美しいため、徐行しながら渡ります。

そしてすぐにトンネルとなります。

高野線の山岳区間はあまりにも勾配が険しく、登山鉄道の仲間入りをするほど。

山中の小さな駅にも自動改札があるなんて、驚きです。

沿線には高野杉が立ち並んでいます。高野山では古くからこのスギを含めた高野六木(ほかにヒノキ、モミ、ツガ、アカマツ、コウヤマキ)と呼ばれる六種の樹木が存在します。

停車駅ではありませんが、紀伊細川駅にも一時停車し、

ホームに降りて駅周辺の自然豊かな香りを体感できます。

駅のすぐそこは極めて峻険な地帯であり、駅近とは思えないですね。

本当に完全な山中に駅があるといういわゆる秘境駅ですね。

それでも一応駅舎はあり、なんとこの駅にも自動改札機が。南海ではこのような秘境レベルの駅であっても、どの駅にもちゃんと自動改札機というものは設置するんですね。

では、まもなく出発の時刻のようですので、車内に戻ります。

乗降の際は車両との隙間に注意です。

さて、極楽橋と呼ばれる赤い橋が見え、

難波から1時間35分で終点、極楽橋駅に到着です。

車内にていろいろオリジナルグッズが買えたり、観光案内も丁寧で、車内に伝統的な装飾や備品などがたくさんみられ、秘境駅に降りて独特な自然の中に佇むサービスもあったりと、観光列車にふさわしいおもてなしもいろいろありました。いわば高野線にも特有の沿線風景があるという証ですね。今回、食事サービスは受けてないのですが、それでも有意義な乗車時間でありました。

コンコースは高野山にちなんだ幻想的な空間になっています。これぞ高野山の玄関口にならった駅といえますね。

天井には色鮮やかで壮麗なはじまりの天井絵巻や宝来天井絵が広がっていますね。

ここから高野山へはケーブルカーに乗り継いで向かうようになっていますが、ケーブルカーへののりばはこのように連絡通路で結ばれています。

この通路もお寺の回廊に似たような造りで、今にでもお寺めぐりが始まっているような気分ですね。

では、このケーブルカーでさらに上にある高野山の中心に向かいます。

高野山駅へ降り立ち、ここから世界遺産・高野山の旅がはじまりを迎えます。

高野山の駅も洋風建築の変わった駅舎ですね。では、天候は悪いですが、ここから高野山の観光にアタックします!!

まずは金剛峯寺から。1869年(明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である学侶方の巌寺と興行人方の山寺 (廃寺)を合併し、高野山真言宗総本山金剛峯寺と改称した。主殿は文久3年(1863年)再建。東西 54メートル、南北 63メートルの書院造建築である。屋根は檜皮葺で、屋根上には雨水を貯める天水桶とよばれる桶が設置され、境内で火災発生時、桶の水を屋根にまくことで火の粉による類焼を防ぐ役割があった。大玄関と小玄関があり、大玄関は表玄関に相当し、かつては皇室、高野山の重職に就いている僧のみが使用した。小玄関は大玄関を使用できない上位の僧侶が使用し、一般僧侶は裏口を使用した。

蟠龍庭 - 1984年(昭和59年)弘法大師御入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2340平方メートルの石庭。雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っている姿を表現している。龍を表す石は四国の花崗岩を140個使用し、雲海を表す白川砂は京都産を使用。

続いて壇上伽藍へ。根本大塔(こんぽんだいとう)(重要文化財) - 真言密教の根本道場(修行の中心地)として高野山開創当初から着工され、887年に日本最初の多宝塔として完成した高野山のシンボルである。「性霊集」に、根本大塔と西塔が二基一対として建立されたことが書かれている。何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。

金堂(こんどう) (重要文化財) - 高野山の総本堂。初代の堂は大師により弘仁10年(819年)から造営し承和5年(838年)に完成したと伝わる。6代目の堂は萬延元年(1860年)に再建されたが66年後の1926年(昭和元年)12月26日未明に、創建当初のものと云わる本尊と6体の仏像(金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像)と共に焼失した。本尊の像名は薬師如来とされてきたが、焼失した旧本尊も、現在の金堂再建時に新造された高村光雲作の丈六の新本尊も、公開されたことのない秘仏であったため、阿閦如来とする説もあり、新本尊が高野山開創1200年を記念して2015年(平成27年)4月2日から5月21日まで初めて開帳されたのを機に、両者は同体で像容は阿閦如来であるが、像名は薬師如来とされた。現在の7代目の堂は1932年(昭和7年)に落慶され、耐震、耐火の鉄筋コンクリート造で外部に檜材を貼り付けた木造建築の外観で、屋根は入母屋造、梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートルとなっている。

御影堂(みえどう)(重要文化財) - 大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1メートルの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。毎年、空海が入定した旧暦の3月21日に旧正御影供が行われ、前夜の御逮夜法会(おたいやほうえ)のときのみ一般の外陣参拝が許される。御逮夜法会では宗教舞踏の奉納や、御影堂まわり一面にロウソクと花が供えられる。

東塔(とうとう) - 大治2年(1127年)初代創建、尊勝仏頂尊と不動明王・降三世明王を祀る。弘法大師入定1150年御遠忌記念事業で1984年再建。白河上皇の御願により醍醐寺三宝院勝覚権僧正が創建。

大会堂(だいえどう)(重要文化財) - 安元元年(1175年)鳥羽上皇の皇女五辻斎院頌子内親王が父の追福のため創建。もとは東別所にあったが西行法師が、長日不断談義の学堂として現在地に移し蓮華乗院と称していた。後に法会の集会堂になり、現在の堂は嘉永元年(1848年)再建。本尊は阿弥陀如来。

不動堂(ふどうどう)(国宝) - 建久8年(1197年)上皇の皇女八條女院内親王の発願により行勝上人が創建。現在の堂は14世紀初頭に再建で、高野山内では金剛三昧院多宝塔に次ぎ、2番目に古い建築物。高野山内の一心院谷から、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。当初は阿弥陀堂であったと推定されるが、後に本尊の不動明王(重要文文化財)と運慶作の八大童子像(国宝)が奉安され、現在いずれも霊宝館に移されている。堂の四隅の形状がそれぞれ違い、四隅それぞれを四人の工匠が随意に造ったためと伝わる。近年の解体修理報告書によると元来、僧侶が臨終を迎えるための堂だったとの説がある。屋根が桧皮葺のため境内で火災が発生した場合、類焼しやすいため屋根にドレンチャーを設置し、バルブを開けると桧皮葺屋根がドレンチャーからの水膜で覆われるようになっている。高野山内では、檀上伽藍の御影堂、徳川家霊台の2棟、奥の院の経蔵、金剛三昧院の多宝塔など計6棟に、地上に放水銃を設置しているが、屋根にドレンチャーを設けているのは不動堂だけである。

愛染堂(あいぜんどう)(重要文化財) - 建武元年(1334年)に初代建立、現在の堂は1848年(嘉永元年)再建。後醍醐天皇の勅願により四海静平、玉体安穏(天下泰平)を祈念のため創建。本尊は後醍醐天皇と等身とされる愛染明王。

三昧堂(さんまいどう)(重要文化財) - 延長7年(929年)初代創建、もとは総持院境内にあったが、治承元年(1177年)西行法師が現在地に移した。現在の堂は文化13年(1816年)再建。金剛峯寺座主済高が創建し、堂内で理趣三昧の法要を行っていたことから、この名がついた。堂前の桜は、西行法師手植の桜と伝わるが元の桜は枯れ、植え替えられ、現在も西行桜とよばれている。

大塔の鐘 - 大師発願で二世真然の代に完成。現在の鐘は日本で四番目に大きな鐘であることから「高野四郎」と呼ばれ、1547年に鋳造され約6トン直径7尺である。1日5回、計108回突かれる。鐘楼は鉄筋コンクリート製。

准胝堂(じゅんていどう)(重要文化財) - 光孝天皇の御願により第二世真然大徳が973年ごろ創建、現在の堂は1883年(明治16年)再建。本尊は准胝観音(准胝仏母)で、空海が出家得度の際の本尊として自ら造立したと伝わり、当初、食堂に安置していたが当堂を創建後に移したと伝わる。

孔雀堂(くじゃくどう) - 1200年初代建立、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として1983年(昭和58年)再建。後鳥羽法皇の御願による神泉苑での請雨祈願が成就したことにより奉納された堂。本尊の快慶作の孔雀明王像(重要文化財)は霊宝館に移され、当堂には新しく造られた像が安置された。

山王院(さんのういん) - 承安4年(1174年)以前の創建で1845年再建、御社(明神社)の拝殿として建てられた。両側面向拝付入母屋造り(りょうがわめんこうはいつきいりもやづくり)の建物であり、桁行21.3メートル、梁間7.8メートル。山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味。堂では、毎年竪精(りっせい)論議や御最勝講(みさいしょうこう)などの重要行事や問答が行われ、高野山の鎮守たる明神(みょうじん)さまに神法楽(じんほうらく)として捧げられている。同様に毎月16日にも月次門徒・問講の法会が行われている。

西塔(さいとう)(重要文化財) - 空海の伽藍建立計画の『御図記』に従い創建され、空海が構想した大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として根本大塔と西塔を二基一対として建立され、後述する根本大塔の本尊が胎蔵界大日如来であるのに対し、金剛界大日如来像と江戸時代作で胎蔵界四仏の宝幢如来・開敷華王如来・無量寿如来・天鼓雷音如来を安置する。仁和3年(887年)初代塔建立、現在の塔は5代目で天保5年(1834年)の再建で擬宝珠(ぎぼし)高欄付多宝塔で屋根は本瓦型銅板葺である。高さ27.27m。再建にあたり、西塔近くの正智院住職が二十数年、三代におよび私財をなげうち勧進をしたと伝わる。

というわけで、高野山ではたくさん国宝や重要文化財といった古くからの歴史的建造物が今でもたくさん支持されながら現存しているという日本を代表する観光地ならぬ、世界遺産であります。皆さんもGRAN 天空に乗って高野山に参拝でもして、宿坊に泊まりつつ、数多くの自然や寺院などを見物してみてはいかがでしょうか。精進料理も食べられるし、伝統的な文化に触れたり、ここでしができない学習にもなりますよ!!

 

 

2026.08.21 【快速みえご乗車の方要注意⚠️】伊勢鉄道伊勢線に乗る

三重県の県庁所在地であり、平仮名が一文字だけという珍駅名の津駅。ここからとあるローカル線を経由して名古屋方面に向かおうとしていました。

それは、JR線の2番線ホームを名古屋方向にひたすら歩いた先にある、

1番線ホームから出る伊勢鉄道伊勢線であります。これに乗れば津から名古屋方面に向かうのに亀山を通らずまっすぐに四日市に出れるという短絡線です。ただし、ICカードは使えないので注意が必要です。

とはいえ、車両は1両編成の気動車ではないですか。

そんなことはまぁ良しとして、いざ乗車。

津を出るとしばらくは紀勢線と並走します。

伊勢線の単独区間に入ると高架線へ。一部区間は単線ですが、将来的な複線化を見越して線路用地が確保されているみたいです。

トンネルは伊勢上野-中瀬古間の一箇所のみです。

鈴鹿サーキットが見えてきましたね。

鈴鹿サーキットはレーシングコースをはじめ、遊園地やホテルなどが融合したモビリティリゾートです。

19万人都市の鈴鹿市の市街地に入ってきました。

玉垣駅は車両基地や本社がが所在する伊勢鉄道の業務上中軸となる駅です。

AGFの工場が見え、

鈴鹿のシンボルとなる市役所とNTTの電波塔が見えてくるとまもなく鈴鹿駅に到着です。

鈴鹿駅で一旦下車し、

鉄印帳をGETしました!!藤堂高虎も出演していてなんか興味津々の鉄印になっていますね。

鈴鹿駅は高架線にある相対式の2面2線ホームです。

ここから快速みえに乗って一気に名古屋方面へ抜けることができるのです。ただし、青春18きっぷをお持ちの方は河原田までの普通乗車券が別途必要になります。そこだけは要注意です!!

全席転換式クロスシートで、これなら長距離移動でも特急に値する快適性が味わえますね。

河原田駅を通過。この駅は関西本線のホームが地上にあり、伊勢線のホームは高架上にあるという構成になっています。というわけで、伊勢鉄道としてはここが終点で、ここから関西本線に突入です。

がしかし、その後乗り入れる関西本線の沿線で火災があり、ダイヤが乱れているため、この快速みえも四日市から各駅停車になるということでした…。せっかく快速みえに乗れたのなら、ずっとボックスシートでゆったりと揺られたかったのに…。ちょっとショックでした。

が、伊勢鉄道に乗ることができ、鉄印帳もGETできたので、これはこれで納得しつつ、桑名から近鉄に乗り換えたことで不安は多少解決したのでした。

2026.09.04 【名古屋から各駅停車】東京-新大阪をひかりで赴いてみた

只今時刻は7:10頃、東京駅東海道新幹線17番線ホームにいます。これから、新大阪に向かうのですが、今回は慣例ののぞみ号でなく、ひかり号に乗って約3時間揺られながら移動したいと思います。

というわけで、7:36発のひかり633号に乗車します。

さあ、今回乗車するひかり号が回送列車として入線。車両はJR東海所有のN700S系0番台です。

7:36、東京駅を出発。

新横浜を出るとひかり号であってもそれなりに速度を出して行きます。

しかし、この日は天候が怪しい…。最近天候が落ち着かない日が続いてますもんね。

列車は酒匂川をわたり、

8:09、小田原駅に停車。ここでもかなり多くの乗客が乗ってきます。

たった2分間の停車時間の間に1本ののぞみ号に抜かれました。

さて、小田原駅を出発。すぐにトンネルに入ります。ここから三島付近までトンネルが断続的に続くと思われます。

暗雲のおかげで富士山の見え方が納得いかない…

新大阪行のひかり号は大半が静岡県内ノンストップです。

しかし、焼津付近で少し速度が緩くなってきます。ひかり号は猛スピードがさほど長く続くことはないのでしょうか。

浜名湖

愛知県に入り、豊橋駅を通過。新大阪行のひかり号の中には豊橋停車の便も一部あるようですが、こちらは小田原に停車しているため豊橋は通過となります。

三河安城を通過し、「名古屋まで9分で到着」の旨がアナウンスされます。

東海道本線や、

名古屋鉄道などと並行する賑やかな区間に入ると、

そこは名古屋駅です。

名古屋9:19

名古屋を出ると、終点新大阪まで各駅停車になります。

岐阜羽島駅。この駅は名鉄羽島線の新羽島駅と隣接しています。

ここで5分間停車。

その間にまたしても後続列車に抜かれていきます。

岐阜羽島を出発すると、ソーラーアークが見えてきます。このソーラーアークもまもなくすると解体が始まるようです。

続いて、滋賀県の米原駅に停車。

ここでも5分間停車し、後続列車の通過待ちを行います。

米原を発車した時点で座席に余裕が出たようです。多くの方が名古屋、岐阜羽島あるいは米原といった駅で降りられたようですね。

10:12、京都に到着。新大阪まであと一息!!がしかし…

ここで急病人がいるとのことでまさかの抑止。

後から来たのぞみ61号にも追いつかれるという事態に。

車両のドアは開いているのにホームドアはすでに閉まっているという不思議な光景。長く止めるならホームドアも開けて乗客を乗せてくれたらいいのに〜。

結局8分の遅れを以て京都駅を出発。

そして、東京駅から約3時間で終点、新大阪駅に到着しました。京都での足止めもあって8分遅れての到着となりましたが、ひかり号でも新大阪行であれば3時間ほどで移動できると思いますので、時間に少しでも余裕のある方はのぞみに頼らず、時間稼ぎにひかりも利用してみてはいかがでしょうか。

2026.08.23 【りんかい線内唯一の好適撮影地】東雲駅にてりんかい線70-000形を撮る

JR九州の筑肥線で第二のスタートを切り、既存の貫通型103系を置き換える東京臨海高速鉄道りんかい線70-000形。りんかい線での活躍を終える時が1年ほどに迫った今にでも撮り溜めておこうと、

りんかい線内における唯一の撮影に適した地上駅、東雲駅へ。ここでは特に上り列車に対しては大胆にカーブしながら入線してくるシーンを撮れるという絶好のポイントなのです。

しかしながら、練習中はグリーンのE233のオンパレードでした。よそ者というのに、りんかい線内でもE233に占領されすぎですね。

ようやく上り70-000が来たと思ったら、下りE233に被られるという無念な結果に終わり、その直後に新木場から折り返してきた下り70-000を撮影。実は当駅では下りもストレートで撮影に適しており、上下線とも有名な撮影地と言えるほどりんかい線内での定番お立ち台なのです。

さらに、上り線には71-000が入線し、これでりんかい線の新旧主力が揃いました。

その後もしばしE233によるオンパレードが続き、

とうとう東臨車である71-000が入線。東臨車は自社所属というのにマイノリティなレベルほど比率が少なすぎですね。

もう一本E233が来た後、

大変長らくお待たせいたしました。当駅での上り方面行70-000を初撮影を果たしたのでした。この日はダイヤが乱れていたようで、予定より入線時刻が狂った形になりましたが、なんとかその後のスケジュールに影響のないうちに来てくれて助かりました。

このようにりんかい線内で撮れる場所も限られますが、直通先の埼京川越線に向かえばたくさん撮影スポットが見つかるはずなので、みなさんもぜひトライしてみては。

 

2026.08.21 【廃線を免れた絶景ローカル線】JR東海・名松線(松阪→伊勢奥津)

松坂牛で有名な松阪駅です。ここから、知る人ぞ知る崖っぷちのローカル線に乗ってみようと思います。

この駅を起点とするローカル路線、名松線であります。当初は松阪と名張を結ぶ計画があったため、この路線名となっています。では、いざ出発!!

権現前を出て川を渡りますが、雲出川ではなくその支流の中村川です。

一志付近までは松坂近郊の住宅地もそこそこ散見されるエリアですね。

家城までは高校生の利用が多いようです。

伊勢八太を出ると松阪の市街地から抜け徐々にのどかな風景になりつつあります。

近鉄大阪線・川合高岡駅に程近い一志駅。乗り換え駅ではありませんが、ここからも多くの高校生がなってきました。

伊勢大井-伊勢川口間でオーバークロスする高架橋は高速道路でなく、県道です。当路線は伊勢八太の手前で伊勢自動車道と交差しています。

すでに山間の地域に入りかけていますが、家城までは所々で住居が見られます。そう考えれば、家城までは鉄道路線の必要性が感じられるのではないでしょうか。

廃屋となったパチンコ屋が。山間部にパチンコ屋があるなんて今では考えられないですね。

松阪からの2両編成の終点、家城駅に到着。

多くの高校生が当駅で下車して行きました。

というのも当駅はTBSで2023年に放送されたドラマ『下剋上球児』のモデルとなった野球部のある白山高等学校の下車駅で、まさに白山高校の学生と思われる方が多く乗られていました。

当駅からは1両編成に乗り換え、伊勢奥津を目指します。

家城からは民家も途絶え、雲出川と並行するようになります。

名松線の車窓から眺める雲出川の渓谷がなんといっても素晴らしい。

やがてエンジン音が高らかに轟くようになり、ここから勾配がキツくなると思われます。

この車窓を見たらかなり高度を上げているかが窺えますね。

ファイアバレーウォーターパークというプール施設が見えてきました。夏だからこそプールで遊びたい気持ちが湧いてきますね。

今では廃墟となったホテルも見られます。

松阪を出て1時間23分、ようやく名松線終点の伊勢奥津駅に到着です。結局、家城からの1両編成の乗客は疎でした。

駅舎内には昔の名松線のギャラリーがありました。

駅舎はこんな感じ。内部には公民館なども入居しており、おかげで駅舎は大きめです。

伊勢奥津に来たら欠かさず見ておきたいのが、この給水塔です。

国の登録有形文化財の一つで、このように給水塔の紹介もありました。

給水塔の現役時代の写真も飾られていました。

終着駅名物、車止め

というわけで、名松線ですが、家城駅までは民家や高校が点在し、本数少なめでも鉄道の重要性が感じ取れました。ただ、個人的には伊勢奥津までも観光資源という目的であってもいいんじゃないかという結論もあるんですよね。というのも、温泉などのリゾート地や雲出川渓谷などもあり、車窓も景観的ですし、乗って残そうという意図が大事だと思います。これから先も名松線、厳しい道のりに負けず頑張ってほしいですね。

 

 

2026.08.20 【忍者の里・伊賀市】伊賀鉄道(忍者列車)に乗る

いやー、暑い…。というわけで、今現在、三重県の関西本線・伊賀上野駅にきています。

駅舎に面する関西本線奈良方面ホームである2番乗り場を西方向に歩いた先に、

「伊賀鉄道ののりばがあるよ」と教えてくれているかのように忍者がお出迎えしています。

伊賀鉄道は2番乗り場の奈良方向先端にある切り欠きホームである1番乗り場から発車します。ホーム上にはICセンサーがあり、ICカードも利用可能です。

シンプルで一回りちっちゃくてかわいい木製の車止めが面白味ありますね。

当駅は伊賀鉄道のホームも含め全面JR西日本の管轄で駅名標もJR西式になっています。

さて、伊賀ゆかりの忍者のラッピングが施された忍者列車が入線です。

車体には忍者だけでなく、松本零士氏が手がけた愛猫「ミーくん」が描かれていました。

車内はこんな感じ。壁面は木目調になっていて、ロングシートが基本ですが、

一部は転換式クロスシートになっていました。地域輸送の強いこの伊賀鉄道ですが、このように一部だけクロスシートにすることでこれまでに見たことのない風景を楽しませて観光客を取り込む狙いでしょうか。

ドア上にはみえ森と緑の県民税を木製によるプレートでPRしていますねー。こういうアイデアも面白いですよね。

忍者や伊賀上野城のイラストで伊賀上野の観光名所をアピールしていました。

伊賀上野はほかにも、俳聖殿や松尾芭蕉でも有名です。

なんと、車内の荷物棚にも忍者が隠れていました。

さあ、伊賀上野を出発し、すぐに南へ進路を変え、関西線と分岐します。

服部川をわたり、

まるでお城の天守閣のような陸閘が見えてきました。伊賀上野は城下町ということでこのような構造になっているのかもしれませんね。

そして、別の忍者列車が留置された車両基地が見えてくると、

伊賀の中心部にある上野市駅に到着。

駅名である上野市は2004年の平成の大合併で伊賀市の一部となり、現存はしません。

伊賀鉄道の沿線には瓦屋根の古民家が目立ちますね。

茅町駅では伊賀鉄道のイメージキャラクターであるふくにんのラッピング列車と行き違い。

さらには、沿線に見える道路橋まで古い建造物になっています。

四十九と書いてしじゅく駅と呼ぶそうです。なかなか読みづらいかも。

盛土の上を通る区間もあり、そこでは開けた田園風景が見渡せることも。

猪田道駅ではまるで東急!?の車両ともすれ違いました。

さっきから気になる黒い瓦屋根の古民家の正体ですが、伊賀市内では重厚な伊賀瓦を使った屋根の日本家屋が多く点在しているとのことです。

さて、伊賀上野を出て36分、近鉄大阪線と合流すると、まもなく終点伊賀神戸駅です。

JR管轄の伊賀上野駅とは異なり当駅の駅名標は伊賀鉄道独自のデザインになっていますが、駅自体は近鉄と共同使用駅でこの伊賀鉄道線もかつては近鉄の路線でした。現在の伊賀鉄道に吸収合併されたのも2007年のことです。

こうして沿線には城下町で見られるような日本の伝統文化がたくさん見られ、伊賀市内も古くから長きにわたり繁盛してたことがわかりますね。忍者列車とともに城下町を訪ねるぶらり旅をするのもオススメです。

というわけで、この伊賀鉄道とは関係ありませんが、この日の夕食は、松坂駅で売られていた松坂牛の駅弁でした。

白飯と合わせて噛みしめる松坂牛のお味は抜群の旨味で松阪にきては何度でも食べたくなるような一品でした。みなさんも、松阪にきたら松坂牛の駅弁いくらでも揃ってますので、ぜひご賞味を。