ヒダヰゴ交通局

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2023.06.25 【岡山を代表する日本三大名園】岡電に乗って岡山後楽園へ

おはようございます。昨晩は岡山駅にほど近くのシティホテルに宿泊しておりました。この日は2泊3日の山陰岡山旅行最終日。この日も天候は快調でした。

6時半には目が覚めており、おかげでサンライズの発車シーンも見ることができました。

さて、今日は路面電車岡山電気軌道)に乗って岡山市内を散策しようと思います。しかしながら、11時前には岡山駅を離れなくてはならず、行く場所は1か所だけです。

乗車ホームと降車ホームは東西で分散され、乗車ホームも左右で清輝橋線(左)と東山本線(右)に分かれているみたいです。その関係でポイントを変えながら入線してくる路面電車が見られてワクワクします。

降車専用ホームで乗客を降ろし、

これから乗車する東山行の入線です。これで岡山後楽園、岡山城に近い城下停留所まで乗車します。

町中を走るということもあり、路面電車から見る風景は素晴らしいです。

柳川停留場から清輝橋線と分かれます。

城下停留場で下車し、しばらく歩くと、、、

このように岡山城がそびえます。姫路城は真っ白なのと対照的にこちらは真っ黒です。

ですが、今回は岡山城は諦め、岡山後楽園を目指します。というわけで、月見橋旭川を渡り、

岡山後楽園に入園します。岡山後楽園は茨城県水戸市偕楽園、石川県金沢市兼六園と並ぶ日本三大名園の一つとして有名です。まずは園内で一番大きい沢の池。中にはいくつかの島が浮かびます。

池田綱政の子、継政が作らせた約6mの築山、唯心山。ここから園内を見渡せます。

井田はかつて園内に広がっていた田畑の名残で、中国周時代の田租法にならい幕末に形作られたものです。6~7月には大賀ハスが見ごろを迎えます。

この茶畑は築庭当時からこの位置にあり、背景の緩やかな曲線を描く土手山と調和しています。江戸時代、ここの葉茶は藩主がふだんに飲むお茶となりました。

この辺りから撮る岡山城と沢の池、唯心山の写真はパンフレットにも使われる後楽園の代表的な一枚です。

藩主が後楽園を訪れた際の居間として使われた延養亭は、後楽園の中心的建物です。

花葉の池。6月から8月にかけては白いハス「一天四海(通称:大名ハス)」が見ごろとなります。

茂松庵。歴代藩主は花や紅葉を眺めてくつろぎました。

舟入跡。お城から藩主が舟で渡ってくるときの舟置き場の跡です。

この梅林は、幕末近くなってできました。今では紅白合わせて約100本の木が他の花に先駆けて春を告げます。初春の梅林に続き、春の桜林、秋の楓林と季節ごとに見どころが続きます。

この花交の池周辺は、築庭当時はヤマザクラや花木を中心とした景色でした。園内を巡ってきた曲水の水は、この池から旭川に戻っていきます。

千入の森(ちしおのもり)。春の芽吹きと錦織りなす秋の紅葉が美しい楓林で、古くから園内名勝の一つです。千入とは幾度も染めるという意味で、築庭当時からこの名がついています。

慈眼堂は池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立した観音堂です。

今はご覧の通り空堂となっていますが、江戸時代には歴代藩主が厚く信仰していました。

さて、一通り見学を終えたら、後楽園のそばにあるバス停から岡電バスに乗り、岡山駅に戻りましょう。

後楽園は自然豊かで落ち着く環境にあり、ゆっくり巡っても楽しむことのできる庭園でした。

この後は岡山駅から岡山エリアの観光列車『SAKU美SAKU楽』に乗車し、津山市へと足を延ばします。