今回、栃木県から福島県を縦断する壮大な旅行気分を味わい、終盤は会津若松から磐越西線で郡山方面へ向かいます。これから乗車する快速列車は『あいづ』4号の指定席であります。
こちらから見る景色も磐梯山が大きく見えて良好でした。
さて、猪苗代に途中下車。猪苗代で育った偉大なる名医といえば、、、
野口英世博士ですね。かねてより野口博士に興味があり、記念館にも過去に2回立ち寄ったことがあるのですが、2015年に記念館がリニューアルされたようで、新しく生まれ変わった野口英世記念館に行ってみようと思います。
駅からタクシーで10分ほどで一新した記念館へ。
1876年11月に清作(野口英世の幼名)はこの生家で生まれ育ったようです。
清作は幼い頃に囲炉裏に落ちて大火傷を負ってしまいます。
医師を目指した清作はこの決意文を残して生まれ故郷の猪苗代を後にし、上京したのです。
では、展示室に入っていきます。
これを見ると清作はいかに成績が優秀だったかに思います。
その後、医師として地道に経験を積んでいき、研究の道へ歩んで行ったのでした。
その後、アメリカへ渡米した英世は主に細菌学や梅毒など研究を重ね、そこでの研究の成果が世界的にも注目を浴びるように。
これが研究に使用された道具。
その後も感染症の原因を突き止め、各国から称賛を受けました。
英世はアフリカに渡り、そこで黄熱病の研究に努めますが、自身も黄熱病に罹患し、1928年に英世は51年の生涯を閉じました。
英世はこのように多くの名言を残しているんですね。
さらに、アメリカで研究中だった英世に母シカから帰国を促す手紙が送られたのですが、その内容がこちらです。
というわけで、野口英世博士の医学研究により、昔の時代に世界中の多くの方が苦しめてきた病気が緩和され、とても助かっているように感じます。野口英世のような博士がこの世に存在したら、コロナ禍ももう少し前に終息していたかもしれません。
個人的には野口英世博士の1000円札が見られなくなるのが残念ですが、私も野口英世博士みたいな賢い鉄道博士を目指していきます!!