ヒダヰゴ交通局

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2024.10.13 【日本最古の木造再建城】郡上八幡城、帰りも観光列車ながらで!!

三連休中に岐阜県を旅行しており、美濃市から観光列車ながらに揺られること1時間で、

郡上八幡にやってきております。では、郡上八幡といえば…

郡上八幡城であります!!三連休半ばのこの日は道路が非常に混雑しており、山道をひたすら歩いてお城に到達しました。

では、天守内に潜入します。

郡上八幡城は東常慶が篠脇城から赤谷山城に移ったのが始まりです。その後、東氏と遠藤氏が争った赤谷山城の戦いで赤谷山城は火をかけられ落城したのです。

永禄二年に遠藤盛数が赤谷山対岸の牛首山(八幡山)に砦を築き、赤谷山城を攻める拠点としました。盛数は東氏が滅びて郡上支配の実権を握ると、八幡山に城を築くことにします。

遠藤家家紋入紺糸緘弍枚胴具足

慶長5年9月1日、郡上八幡城を攻める時がやってきます。

同月15日には関ヶ原を主戦場として、東軍と西軍が激突し、天下分け目の戦いになります。この関ヶ原の戦いを中心に全国各地で覇権をめぐる戦いが起こります。郡上八幡城の戦いもその一つで東軍に与した遠藤慶隆と当初、西軍に与した稲葉貞通が、郡上の覇権を賭け戦い、関ヶ原の戦いの前哨戦と考えられます。

遠藤氏の城主。初代の城主にあたります。

箱訴人 藤次郎の脇差

その後、城主は井上氏、金森氏と受け継がれてゆき、最後は青山氏に引き継がれました。

これが東常慶を攻めた赤谷山です。

あまりお城は詳しくなく、不勉強な点もありつつ何となく文章にすることはできたかとは思いますが、誤りもあるかもしれないので、ご承知おきください。

さて、再び観光列車ながらに乗車し、美濃太田へ戻りましょう。

復路はボックス席でゆったりくつろぎましょう。

ブラインドも木で構成されているんですね。

ながらの乗客には冷房がないため、扇風機を貸してくれるので、ありがたいサービスには心が癒されがちです。

長良川鉄道は関まで国道156号とほぼ同じルートを通ります。

向こうに見える山は、左が白山で右が大日ヶ岳です。

国鉄バス名金急行線沿いに旧国鉄バスの車掌である佐藤良二さんが植えた荘川桜が見えます。これを題材にしたドラマや映画も放送されました。

上りはU字の川の景勝地で一時停止します。

車内で売られたオレンジジュースを乾杯!!

美濃市駅国鉄キハ48形を再現したナガラ600形と出会います。

この辺りは開業時点では何もなかったことから直線が延々に続いています。

関駅にて小休憩。

関駅には駅舎内に鉄道ジオラマが設置されていることで有名です。近鉄ひのとりなどが走っていました。

乗車整理券はこんな感じ。

刃物会館が見えてきました。この日は刃物まつりが開催されたため、往路の美濃太田から乗車した普通列車は混雑していました。

あっ、かつての越美南線の気動車を模したローソンが。

さて、観光列車ながらに揺られること約1時間半、終着の美濃太田駅に到着です。

そういえば、この日はこの観光列車の食事プランはやっていなかったんです。なので、せっかく豪華な列車に乗ったのに車内で昼食をとれなかったのが無念でした。でも、ながらの旅は最高潮でした。また乗ってみたいばかりか、今度は北濃まで行ってみたいですね。