Hidaigo Metro

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2024.05.18 【米沢は上杉氏の城下町】山形県米沢市にて上杉博物館、上杉神社など観光、米沢牛を味わう

週末パスを使って山形県米沢市にやってきていました。

米沢といえば米沢牛もそうですが、米沢ゆかりの上杉氏について学ばなければなりませんね。

というわけで、上杉謙信など置賜地方米沢藩の歴史をじっくり学習できる伝国の杜にある上杉博物館へ。

直江兼続は越後以来上杉景勝に仕えた文武両道の武将です。上杉景勝は初代米沢藩として謙信の跡を継いで越後を統一し、会津一二〇万石の大大名となり、豊臣政権の五大老の一人ともなった大名です。

上杉謙信は米沢家の家祖というべき存在で、もとは長尾氏でしたが、関東管領上杉憲政から名跡を譲られ、上杉氏となりました。謙信が使用した兜を飾るこの前立は、あらゆる秘密を知り、その法を修行した者には思い通りの力が与えられると言われる飯縄明神です。

直江兼続は複数の鉄砲職人を米沢に招いて先進技術を取り入れた鉄砲の生産を開始しました。米沢の白布高湯に鉄砲工場を作ったといわれます。

郊外に屋敷地を与えられた下級の武士たちは原方衆、原原奉公人などと呼ばれました。彼らは武士として城下に出勤するとともに、屋敷裏を開墾して農業を行う半士半農の生活を送りましたが、このような武士は全国的に珍しかったと言われます。

こちらは原方屋敷の模型。

3軒の屋敷のうち、真中の家のつくりを直屋造り、ほかは中門造りといいます。置賜地方では建物の南側に突き出した部分を中門と呼んでいます。

置賜の黎明期から出羽国の成立に至るまでの置賜地方の歴史の紹介

出羽国が成立したのは今から1300年もの前のこと

これらの石組は米沢城東二の丸跡の発掘現場から出土した東西58メートルに及ぶ水路跡の一部です。

米沢は昔から織物が盛んだったようです。

財政の改善は鷹山の改革によって一定の成果をあげたことがわかります。

財政難や多くの事件に苦しむ米沢藩の立て直しを実現させた鷹山。米沢藩の再建は鷹山にとって一生涯の仕事でした。

米沢藩は一度は減封により財政危機に陥りますが、伊達・信夫両郡になどに住んでいた家臣たちの米沢移住で、城下町としての米沢は拡大したのです。

鉄砲の玉作りの手順。鍋に鉛を入れることによって作られていたんですね。驚きです。

米沢城址の近くに上杉鷹山公之像があります。

鷹山公之像は、立像と座像両方あるんですね。

では、せっかく上杉氏を学んだのですから、上杉神社も参拝することにしましょう。

米沢城の本丸跡に建てられた上杉神社上杉謙信を祀る神社として知られています。

現在の本殿は、明治神宮の設計者として知られる伊東忠太により建築されました。

その後、米沢駅までこの市民バスで移動し、

米沢駅東側の近くにある食事処で米沢牛を召し上がりました。味も旨みが出ている上、生地が細くて柔らかく、食べ応えはバッチリでした。

やはり、白飯と一緒にいただくのがベストですね。

再び米沢駅に戻ってきた後、山形新幹線つばさで帰京します。山形県置賜地方の日帰り観光もあっという間でした。午後に行程が集中しているからかでしょうか。