ヒダヰゴ交通局

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2022.05.07 ~トロッコ列車で行く渡良瀬日帰り旅行~【1973年に廃坑】足尾銅山を観光する

わたらせ渓谷鉄道トロッコ列車に揺られ、通洞駅で下車しました。

通洞駅から徒歩およそ5分、ここから足尾銅山観光が始まります。

足尾銅山は1550年(天文19年)に発見と伝えられ、1610年(慶長15年)、百姓2人が鉱床を発見し、江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されることになりました。江戸時代にはピーク時で年間1,200トンもの銅を産出していました。1973年に惜しまれながら足尾銅山は閉山となりました。

坑道内へ入坑するには、このトロッコ列車に乗車します。

そして、いよいよ通洞坑に入り、

ロッコから下車し、いよいよ見学スタートです。奥深くへと続くかつての坑道は現在も残っていますが、一般人はこのように立ち入り禁止。複雑な多層構造になっている坑道の総延長はなんと約1200kmで、東京から博多までの距離に匹敵します。

さて、これからは江戸時代から昭和時代の採掘風景を人形による再現で紹介しており、見学に参りましょう。

▼▼江戸時代▼▼

大昔はこのように人間の力を使って採掘していたようです。

5月の今は、屋外は湿った空気でしたが、坑道内は寒気も感じるほどの涼しさです。これが冬になると、坑夫もとても肌寒い中勤務されていて、大変そうに感じました。

▼▼明治・大正時代▼▼

古河市兵衛が買収後、自力だった採掘方法が機械に代わっていきます。

地下水が鉱脈を通ると、そこに含まれる銅分を溶かし、硫酸銅となって染み出てきます。その濃度の高い硫酸銅溶液を集めて、鉄と置換し、沈殿銅を採取します。無駄なく、資源を回収する方法です。

▼▼昭和時代▼▼

昭和時代になり、機械化、合理化がさらに進み、また労働環境が少しずつ改善されました。

一通り人形による展示場での見学は終わり、展示室へ。

通洞選鉱場のジオラマ

足尾銅山では、1885年に「本口坑~製錬所」間にドゴビール式軽便鉄道を敷設し、運搬作業の効率化を図りました。

ドゴビール式軽便鉄道とはフランス人バウル・ドゴヴィールが発明した簡易軌道のことで、鉄板の枕木とレールを固定した軌道を傾斜地に敷設し、上部に滑車を設けロープで荷物を積んだトロッコが自重で上下するものでした。この装置により、地形の段差が解消されました。これはインクラインとも呼ばれ、現代のケーブルカーの一種です。

1t角鉱車は、鉱石を運搬するために使用していた鉱車で、約1トンを積載する能力がありました。また、坑内労働者もこの鉱車に乗って坑内へ向かいました。

屋外へ出ると、トロッコ列車が通っていました。

削岩機体験コーナーもあります。爆薬を安全に効率よく爆砕するため、岩盤に爆薬を挿入する丸い穴をあけるドリルのことです。

こちらは江戸時代の選鉱、精錬の様子です。

足尾銅山ではこのように、当時の採掘作業の大変さを知ることができました。私もこの足尾銅山を見学した経験を活かして、冗談抜きでも甘えてばかりはいられないと感じました。